2009年8月27日木曜日

がん対策基本法ができるまで

藤田敦子のひとりごと・・がん対策

選挙って大事だなと今回の衆議院選挙の行方を見て思っています。
がん対策基本法ができたことは
がん患者と家族の熱い戦いとスーパーヒーロー 元参議院の
山本たかしさんがいたことを絶対に忘れていけないと思います。

どんな歴史があったのか、わたしが知る限りなので
間違いがあるかもしれませんが、当時あったがん患者ネットの働きから

2004年9月-3月「がん医療水準均てん化の推進に関する検討会」へ毎回出席、要望書提出 
   
2005年3月7日厚生労働省「報告書起草委員会メンバーによる参考人からの意見聴取」4団体 

4月19日厚生労働大臣が対策本部設置表明
5月11日がん対策推進本部設置 *患者の意見を反映させる仕組みは未定
5月20日国会議員へ陳情活動 
5月25日がん対策推進本部へがん患者ネットメンバーが初訪問 
5月28日第1回がん患者大集会が大阪で開かれる、NHKの特別プロジェクト放映が後押し   

6月佐藤均さん亡くなる 
12月三浦さん亡くなる 

2006年1月東大医療政策人材養成講座「患者発の医療改革」フォーラムでメンバーが講演し、 そこで藤田が出会う 
3月19日第2回がん患者大集会開催 藤田が「緩和ケア」で会場より発言 
     野党案はすでに出ている
4月12日文部科学省にて文部大臣と面会 
4月25日「患者中心のがん医療を推進する議員の会」発足会。がん患者も参加
5月22日参議院本会議で、山本議員ががん患者と告白し、法案成立を訴える 
5月26日与党案まとまる。緩和ケアは大きく前進せず。
5月30日国会での審議に入らず、6月18日に間に合うのか、不安が広がる。
山本さんを中心に与党・野党の話し合いが続く。山本さんから藤田に電話が入り、 議員とがん患者ネットをつなぐ。交渉が続く・・・。
6月7日朗報が入る。全党案ができ、ついに今国会での成立が99%確実になる

第164回国会議案一覧・・・結果が公開されました。オメデトウ!! 
がん対策基本法
付帯決議・・・山本さんがまとめられた「いのちのことば」

がん対策基本法は、患者と家族の熱い思いが詰まった法だということを
忘れないでほしい。
今回の選挙の行方で、来年の予算の見直しがされるという。
がん対策はどう動いて行くのだろう。
山本さんが生きていたら、何を大事にしてくれただろう。

がん対策以外にも
医療や福祉(介護)に大きな予算がついてほしいと願っています。
国として、何を目指していくのか、それをしっかりと定めてほしいです! 

2009年8月23日日曜日

NPOピュア誕生秘話(2002年)

NPOピュアの紹介記事③です。
ピュアの原点でもある創設者のひとり服部さん。
忘れがちになるけど、忘れていけない。
どんな思いで、ピュアを立ち上げたのか、忘れてはいけない。


街の色 人の詩 4
服部さんの"遺産"・・・・医療を地域で
在宅ケア市民ネット


(2002(平成14)年12月17日 毎日新聞 朝刊)

「人としてプライドを持った最期を迎えるための援助をする医者でありたい」――。NPO法人「千葉・在宅ケア市民ネットワーク ピュア」代表、藤田敦子さんは、今でもこの言葉をよく思い出す。 千葉市美浜区の病院に泌尿器科医として勤めながら、末期がんや泌尿器系患者の在宅医療に力を注いだ服部義博 さんが生前、自らに課した医師としての生き方そのものだ。
服部さんは10年ほど前、一人の勤務医から"脱皮"した。家族に担がれるように外来に訪れた老人の姿を目にした 時、「自分が患者宅に行ったほうが自然ではないか」との思いが胸を駆け抜けた。以来、病院勤務を続けながら、 在宅医療にも仕事の幅を広げた。
病は時を選ばない。夜中でも、出勤前の慌ただしい朝も、携帯電話が鳴れば、患者宅に向かう。激務の中で、服部 さんはがんに侵された。痛み止めを打ちながら仕事を続けたが、昨年4月、力尽きた。52歳だった。
服部さんの生き様は"遺産"を残した。生前、服部さんは藤田さんらと共に、患者と病院、主治医、福祉機関などで ネットワークを作り、医療を地域ぐるみで取り組む「ピュア」の設立準備に取り組んでいた。服部さんの死後、藤 田さんらが踏ん張り、昨年8月、設立にこぎつけた。
「在宅医療に長年取り組んだ服部さんの努力を無駄にしたくない」と藤田さんは言う。「在宅を希望する患者や 家族のために、医療と福祉事業の橋渡しをしていきます」
今年4月、服部さんのエッセー集「善人のための医療講座」(うらべ書房発行、1143円・税別)が出版された。 服部さんが「千葉をおもしろくする会」の機関紙「ねばぎば」に寄稿したエッセーを集めたものだ。
患者が親族と20年以上も音信不通だと知り、親族を探し出して患者を搬送し会わせようとしたこと。大好きな ロッテマリンーズの追っかけ旅行先の福岡で痛みに耐えられず救急車に乗ったこと――。軽妙なタッチで、生と死 に向き合う日常の出来事がつづられ、服部さんの患者への思い、在宅医療にかける熱意がにじみ出る。
「こんな先生がいたんだ」という驚き。そして「こういう先生なら病を癒やしてくれるだろう」と勇気付けられる。 【渡辺洋子】

ALS患者の公開講座(2002年)

NPOピュアの活動紹介記事②です。
2002年にALSの公開講座を開催しました。

ALS患者の在宅ケア考える 千葉で公開講座 
(2002年11月12日 朝日新聞 朝刊) 

人工呼吸器を着けて自宅で療養する筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の在宅ケアに付いて考える公開講座が10日、千葉市稲毛区の千葉大で開かれた。ALSは進行性の神経難病で、県内に約260人の患者がいるとされる。 国立精神・神経センター国府台病院の西宮仁医師が講演し、人工呼吸器を着けたALS患者の欠かせない痰の吸引は医療行為とされ、ヘルパーらが行うことが禁じられているため、介護する家族の負担になっていることなどを指摘した。 続いて、ALS患者の夫を看護した経験を持つ船橋市の川上純子さんが「発病以前の家族関係がとても大事だと思う」などと話した。また、人工呼吸器を着けた患者が外出する様子などがビデオを交えて紹介された。医療関係者やケアマネジャー、ヘルパーら約50人が参加し、熱心に耳を傾けていた。

NPOピュア 産声をあげる(2001年)

NPOピュアの活動紹介記事①です。
2001年に産声をあげて、一歩一歩進んで行きました。
これから、過去記事を紹介していきます。

ちばニュースと話題 「在宅ケア公開講座」 
(2002年3月6日 読売新聞 朝刊) 
在宅ケアを支援する特定非営利活動法人(NPO)「千葉・在宅ケア市民ネットワーク ピュア」(略称・NPOピュア、藤田敦子代表)は今月9日午後1時30分から、千葉市稲毛区弥生町の千葉大法経学部206講義室で、公開講座「自分の健康は自分で守ろう」を開く。元千葉大医学部付属病院栄養管理室長で、植草学園短大の鈴木啓二・特任教授が「高齢者の健康栄養学」として、食生活を通した老化防止などについて講演。申込み、参加費は不要。 NPOピュアは、高齢者や障害者、難病患者ら在宅での生活を希望する市民に医療・福祉・保健などの情報を提供しようと設立され、昨年12月に法人の認証を受けた。問い合わせなどは、NPOピュア事務局(070-5554-3734)。

2009年8月2日日曜日

がん拠点病院格差―緩和ケア&相談支援センター

藤田敦子のひとり言―がん対策

国立がんセンターがん情報センターにおいて
がん診療連携拠点病院の緩和ケア及び
相談支援センターに関する調査が公表されました。
http://ganjoho.ncc.go.jp/public/hospital/jspm.html

2007年度に日本緩和医療学会が厚生労働省委託事業として実施した
「がん医療水準の均てん化を目的とした医療水準等調査事業」の
報告書が、地域別、病院名付でやっと公表されました。

医師以外のコメディカル不足も地域格差として出ています。
これは、どうしようもない問題なのでしょうか・・・。

がん対策基本法は、地域格差を解消するために
作られたのに、どんどん、格差は広がっている気がします。

質問を見て思うのですが
緩和ケアのところに、ボランティアとの協働
相談支援センターに、がん患者・家族・支援組織との協働
が、これからは入るべきだと思うのです。

この調査が行われたのが、2007年度。
今年は、拠点病院の審査が10月(だったと思う)にありますね。
ここから、どれだけ改善を図ったか、
それこそが、地域格差、病院格差だと思います。

患者と家族の窓口になるようにと、拠点病院はできました。
「治療」以外の充実も、拠点病院の責務ですね。