2024年6月2日日曜日

「災害関連死」を防いだ 医師の梁勝則さん死去 終末期ケア・ホスピス緩和ケアに尽力

阪神・淡路大震災の被災者支援、終末期ケアに尽くした医療法人社団林山朝日診療所(神戸市須磨区)理事長で、医師の梁勝則(リャン・スンチ)さんが5月21日午後1時57分、脳幹出血のため神戸市中央区の病院で死去した。68歳。 梁さんは、1995年の阪神・淡路大震災の避難所ピーク時に神戸市長田区の長田小と蓮池小を訪れ、絶句する。遅れて避難した高齢者が廊下に横たわり、トイレの回数を減らそうと飲み物を控えていた。屋内トイレは断水、屋外の仮設トイレは不衛生で冷えた。救援物資の弁当は冷たく固かった。 インフルエンザの流行期。脱水状態で免疫力が低下し、栄養不足も相まった。「避難所は命を落とす環境だった」。梁さんは、当時、神戸新聞の取材に振り返る。『災害関連死』。避難生活における体調悪化やストレスなどに起因する死の概念は、阪神・淡路大震災で生まれた。 梁さんはただ絶句しただけでない。介護施設長だった中辻さんに話をして、独自の「高齢者専用避難所」を開設した。後の「福祉避難所」の先駆けと言える存在だ。 高齢者や障がいをもつ人など、災害弱者の為に、避難所や仮設住宅で診療し、被災者を支えるNPO法人「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」(黒田裕子理事長)と一緒に被災者支援に取り組んだ。黒田さん死後は理事長も務めた。 そして、この阪神・淡路大震災の繋がりから、日本ホスピス・在宅ケア研究会(1992年発足)は大きく発展した。終末期医療・ケアの問題を医療や制度の中に閉じ込めず、あらゆる人達と考え、行動に移す研究会。梁さんは研究会の副理事長として活躍し、早くから在宅緩和ケアを推進し、のちに有床診療所をベースとした緩和ケア支援の「希望のいえ」を立ち上げる。2階はがん末期の人と、1階は認知症の方を支える画期的なものだった。その後、サービス高齢者住宅をベースに、認知症特化型サ高住「ルミエールしかまつ」を作り、精神病院認知症病棟にいた方、グループホームや施設にいられなくなった方の受け皿を作った。アドラー心理学や自死遺族の支援など、本当にいろいろな事を精力的にされていた。2019年に喉頭がんが見つかり、治療により、声が出なくなるかもしれないからと、昨年度で研究会から退き、名誉理事になっていた。 藤田はピュア設立年の2001年大阪大会から参加予定だったが、ピュア事務局長の医師の死去により、翌2002年福岡大会から参加し、フロアーから質問したり、千葉県と一緒に行った緩和ケア資源調査の演題発表を行っていた事で、梁さんと知り合い、2005年に梁さんの推薦で理事になっている。そして翌2006年にコミュニティケア部会発足時には賛同者として、ずっと応援してもらった。梁さんに「関西で無名だった私を推薦するのは大変な事だったと思う。どうして推薦したの?と聞いたら、「ダイバーシティの観点から、暴れてほしかった」と言ってましたね。本当に広い視野を持っている人で、常に当事者の側にいる人だった。どんどん、仲間が早くに逝ってしまい、本当に悲しいです。でも、皆な、長いものに巻かれることを嫌い、声に出して、世の中を変えていった人たち。思いは永遠。ご一緒出来たことは宝物でした。梁さんのご冥福を祈っております。 神戸新聞の会員限定の記事だけど、この記事を残しておきたい。日本ホスピス在宅ケア研究会がある限り、梁さん達のしてきた事、想いは繋がっていきます。