2012年11月7日水曜日

オランダ視察 安楽死・尊厳死を考える

NPO法人ピュアの藤田敦子です。
10月21日~28日まで、オランダケア付き高齢者住宅の視察へ行ってきました。オランダは今日本で始まる地域包括ケアのモデルと言われています。また、病院・在宅・ケア付き住宅での看取りが、約3割ずつという世界の中でも病院死が少ない国です。

オランダというと、安楽死を初めて認めた国として有名ですが、実際にケア付き住宅へ行き、高齢者にお会いすると、とても人のいのちを大事にする国という印象でした。

日本の中では、今、議員立法で、尊厳死の法制化を求める動きがありますが、オランダの医療の仕組みや医師の姿勢をみると、日本はいのちを軽んじているように思えてきます。

今回、オランダ安楽死協会 Dr John代表からお聞きした中で、一番印象に残ったのは、ゆりかごから墓場まで診るホームドクターの存在です。

患者と医師との長い間の信頼関係があって、医師は患者の性格や家族との関係などすべてを知る中で、安楽死を望むことは、本当にそれは患者の意思なのか、経済的な問題がからんでいないか、家族からの圧力がないか、そんなことを、患者と何度も何度も対話をして、家族からも聞いて、その上で、判断をしていきます。本人の本当の意思でなければ、安楽死になりません。安楽死を依頼された医師と同じく、独立した別の医師が、同じように、確認を行っていきます。

この時に、医師は、本人の自由意思による、よく考えた上での要請であると確認をし、本人の病の状況が耐え難く絶望的だと確信し、伝えます(本当に『絶望的です』と伝えるようです。日本でこれができるでしょうか?)。本人が自分のおかれた状況や他に治療する方法がないと納得し、その上での、安楽死の要望でなくてはなりません。もちろん、家族の質問にも答えていきます。

そして、別の独立した医師が、上記すべてを改めて行います。

法律的には、安楽死(生命の終了行為)は処罰されるものです。医師による自殺ほう助も同じですが、「入念な激しい条件のすべてを満たした場合」のみ、安楽死は合法となり、起訴はされません。但し、上記のとても細かい厳しい条件に違反したとみなされた場合は起訴されます。

安楽死を依頼された医師と、別の独立した医師二人が、それぞれ報告書を提出する以外に、各自治体の検死官が行き、死体の外部検査を行います。その後、必要な書類を「地域検証委員会」へ送ります。委員会は、送られてきた書類をもとに、「定めに従った厳しい条件と、実行した医師の行為が一致しているを判断します。委員会のトップは法律家、その次が医師、生命倫理の人で構成されます。

これは、ケア付き住宅で聞いたことですが、認知症の人の家族から、胃ろうのことなど希望が出ることがありますが、家族にどうして胃ろうを望むのか、現在の患者の状態や胃ろうをした後のマイナスやプラスなど、すべて話して、何度も対話を繰り返して、患者本人の意思を尊重するように話をしていきます。家族へのフォローがとてもしっかりと行われています。日本のようにいつ書いたかわからない事前指示書が独り歩きすることはないです。

アメリカのカレン事件を例にして聞いてみたのですが、オランダでは、本人の明確な意思がなければ、夫や親の意見で決めたりはしないと言われていました。

アンネの家へ行ってきました。今回通訳をしてくださった後藤猛さんが言われていましたが、オランダの社会教育は、「アンネの日記」から始まっています。戦争とは?生きるとは?平和とは?そして、いのちとは?を、子供の時から考えて行きます。

また、自己決定は、終末期だけに、突然起こるわけではありません。予防(健康教育)から、じっくりとインフォームドコンセントを行います。オランダでは(北欧やヨーロッパではホームドクター制が多い)、患者に一人ホームドクターがつき、そのホームドクターと患者が対話を重ねていきます(ホームドクターは変えることもできます)。

私は「緩和ケアと安楽死との関係や、緩和ケアの教育について質問をしました。緩和ケアのことはよく聞かれるようですね。大学の科目に、安楽死や緩和ケアを学ぶコースがありますし、医師は医師になった後も、たえず勉強を続けると言っていました。緩和ケアの世界に「セデーション」という混乱を起こしたり、痛みが激しい患者の意識を少し落とす行為があるのですが、安楽死は意識がはっきりしている時に行うと言っていました。(私はセデーションもあんまり好きではないのですが・・・)。緩和ケアは、この安楽死法案ができてから、急激に広まったようです。お話を聞いていた時に、モルヒネに関する誤解があるように感じたのですが、何回も質問ができなかったので、確認ができていません。

ケア付き住宅へ行って見てきたものは、残存能力を活かし、楽しく明るく、孤独や孤立がないように、支えあう姿でした。オランダでは、ワークシェアで働く人が多いので、ケアの仕方など勉強してボランティアで動く人がとても多いです。あるユニットでは、専門家が一人だけで、あとはすべてボランティアでした。ただ、ここのボランティアは日本のボランティアとは違い、もともと資格を持っている専門家や研修を受けた人たちで、国がボランティアを認定すると言っていましたので、日本のヘルパー2級のようなものかな、と勝手に思いました。

認知症に関する専門看護師がいたり、老年学を学んだ医師がいたり、ケア付き住宅の場合は、チームで話し合っているようです。あるケア付き住宅に「安楽死をした人はいますか?」と聞いたところ、3年間で一人だと言われ、ケアがしっかりとある所では、安楽死を選ぶ人も少ないようですね。ベッドから毎日起こして、昼間はデイなどでくつろいでいますから、夜はぐっすりと眠れるようですね。

後藤氏によると、2010年に亡くなった人は13万6千人で、安楽死を行った数は3136件、うち、がん患者が2548人で、だいたい約9割が、末期のがん患者だということです。

オランダは、ホームドクターがすべての責任を持ちますので、安易に救急車で病院へ行くこともありませんから、日本のように救急車のたらいまわしやタクシー代わりに使うということもありませんね。

ホームドクター制度には、ゲートキーパーの役割もあり、日本のようにフリーアクセスできた国では適さないかもしれませんが、「患者の為に自分たちは行っている」と言う代表の言葉に、少しウルウルしてしまいました。自己決定を促す取り組みも、情報提供の在り方も、本当に、うらやましく思いました。 上下関係でない、フラットな関係を保っています。これには、国民の成熟度があってのことなのでしょう。

日本尊厳死協会が「尊厳死」という言葉を作りましたが、アメリカオレゴン州では、尊厳死=安楽死ですし、人の死を法律をもとに、殺人罪に問われないと判断するのであれば同位置にあると言えます。リビングウィルも、ただ機械的に聴収しても、複雑な臨床現場の状況に家族や医療者が対応できないという研究もあるようです。

必要なことは、「死」ぬことだけでなく、どんなことを大切にして、どんなふうに生きてきたのか、そして、もし自分が意思表示が出来なくなった時に、どんな治療を望んでいるのか、そんなことを確認しあっていく経過が大事なのであり、何度でも、患者がわかる状況の変化があった時に、確認を行っていくことなのだと思います。「尊厳」とは、生きる時こそ、必要なことなのです。

今、日本のがん対策は、患者との「対話」の道が、始まったばかり。緩和ケアをもっと進めていき、患者本位の、コミュニケーションを大事にした、チームケアを、家族も支えながら、確立してほしいと望んでいます。そして、できることなら、緩和ケアの持つ上記の4つの条件を、他の疾患にも応用していき、温かいぬくもり中で最期まで生ききることができるようにしてほしいです。

*オランダ報告は、私が今回の視察で、見て聞いてきたことをもとに書きました。一部、後藤さんの著書にて確認を行っています。他にもすてきな現場をいっぱい見てきましたので、おいおい、ブログにて公開していきますね。

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