2011年1月19日水曜日

支えるきもち 在宅ホスピスの普及に取り組む 藤田敦子さん

平成17年(2005年)2月22日 読売新聞朝刊の記事を紹介します。

支えるきもち 最期の願い かなえたい
在宅ホスピスの普及に取り組む 藤田敦子さん(NPO法人「ピュア」代表)

「家には、病院にはない安らぎがある。本人や家族が在宅ホスピスを望めば、当たり前に実現できる環境を作りたい」

「ほとんど食事が取れなくても、家に帰れますか」
「最期は痛みで苦しむのですよね」
受話器の向こうから、患者の家族の切実な思いが伝わってくる。
在宅ホスピスの普及に取り組むNPO法人「ピュア」(本部・千葉県船橋市)が、週に2回行う電話相談。一つひとつの質問に、「がんの末期になると食べれなくなりますが、それは病院も同じです」「痛みをコントロールできる先生がいれば大丈夫。ご自宅の近くで探してみましょう」と丁寧に助言する。
2001年にピュアを設立し、電話相談のほか、一般の人を対象としたフォーラムを年1回、医師や看護師などの専門職向けの公開講座を年2回開いている。
昨年10月には、「千葉県在宅緩和ケアガイドブック」を県と協力して完成させた。往診してくれるかどうか、痛みの緩和ケアができるかなどの項目について、約1400の医療機関や介護事業所からアンケートで得た情報を収録。県とNPO法人がこうしたガイドブックを共同で製作するのは珍しいだけに、全国の医療・福祉関係者から注目を集めた。
「在宅ホスピスを普及させるためには、目の前の困っている人を助けるだけでなく、行政も巻き込む必要がある。まいた種が一つ芽を出した感じです」

専業主婦が在宅ホスピスにかかわったきっかけは、7年前に見つかった家族のがん。手術したが、転移があり、退院後半年もせずに立ち上がれなくなった。
「検査だけのつもりで再入院しましたが、発熱のため、家で診療してくれる先生がいないと退院できなくなりました。結局、そのまま病院で亡くなり、家に戻りたいという最期の願いをかなえてあげることはできませんでした」
当時、在宅医療を手がける医師や訪問看護師は今よりずっと少なかった。市役所に問い合わせても、「担当が違う」とたらい回しにされた。電話帳だけを頼りに、あちこちの医療機関に電話をかけ続けた。
「情報も、助けてくれる人もない。ようやく見つけた訪問看護師から、往診してくれる先生に家族が事前に説明に行くよう言われ、『一人で付き添いをしている私が、出向けるわけがないでしょう』と叫びそうだった。本当に孤独でした」
家族の死後、千葉市で在宅医療に取り組む医師の服部義博さんと意気投合。在宅医療・介護ネットワーク作りを計画していた時、服部さんががんに倒れた。「私が遺志を継ぐ」と死の床の服部さんに約束した。

在宅ホスピスの普及には、まだ課題が多い。
病院は、治療の手だてがなくなった患者の在宅復帰に、あまり協力的ではない。往診してくれる医師や訪問看護師など、地域の受け皿も不足している。
「病院の人は、在宅ホスピスについてよく知らない。医療関係者向けの公開講座を繰り返し開いて、自宅で暮らしたいという患者の思いの強さを訴え、理解者を少しずつでも増やしたい」
市町村による支援体制もまだ不十分で、在宅ホスピスに関する相談窓口もない。がんで年間30万人が亡くなり、自宅で死を迎えたいと思う人も多いはずなのに、その人たちに対する支援は、自治体の施策から抜け落ちている。
「自治体に相談窓口の設置を働きかけ、患者側からも声が上がるよう、様々な機会をとらえて必要性を訴えていく。全国どこでも同じように情報をサービスを得られる仕組みを作りたい。それが、亡くなった二人と私の夢なのです」
(針原陽子)
ピュアの電話相談は火曜日・金曜日、千葉大学福祉環境交流センターにて
*2012年4月現在、在宅ホスピスガイドブックは完売しております。
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2011年2月20日に千葉市文化センターで今年もフォーラムを開催します
あれから6年経って、がん対策基本法も作れたし、相談支援センターもできましたね。でも在宅の医師や訪問看護師は不足のままです。がん患者と家族を支える機能もまだまだです。介護・福祉との連携も絵に描いた状態です。これからも走り続けようと思っていますので一緒に「夢」を追いかけましょうね。(藤田敦子)

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