2012年5月20日日曜日

コミュニケーション・社会・幸せ 野沢和弘さん


NPOピュアの藤田敦子・院生モードです。
今回のお話は、毎日新聞論説委員 野沢和弘さんからお聞きしました。自閉症のお子さんとの会話や知的障害をもつ人の為にわかりやすい新聞を作った話など、今回も「発信力」を高めるために、多くを学べました。

◎世の中の理不尽を追求する

野沢さんは、毎日新聞に入社し、厚労省担当のキャプになった1995年に、転機となった薬害エイズ事件に出会いました。
当時、薬害エイズになったことは、世間にも内緒の時代でしたが、血友病患者のお母さんたちにインタビューをして記事にしていきました。最初は「なんで、そんなものを記事にするのか」と厚労省だけでなく、当事者のお母さんの中からも批判の声があがっていましたが、だんだんと世の名に伝わっていき、「自分は間違っていた。書いてくれてありがとう」と言われるようになりました。
次に疑問に感じたのが、茨城県で起こった知的障害者への虐待問題でした。当事者の証言能力を問われ、救うことができず、地元のメディアも書くことができないでいました。野沢さんは、「職をなげうってもやらなくては」と思い、デスクと相談し、年末の社会面に、今までどういう取材をしてきたか、放置されてきた現状を書きました。すると、全国の読書からFAXが届き、記事に反対していた上層部も、もっと書くようにと変わっていきました。

◎自己選択・自己決定のための情報保障

90年代後半に入り、社会が措置から契約、介護保険、支援費制度と変わっていき、自己選択・自己決定の時代になっていきました。選ぶためには、情報、体験、判断能力、交渉能力が必要でした。スウェーデンなど北欧では当事者主義と情報保障がなされていることから、野沢さんは、知的障害者のための新聞「ステージ」を出すことを提案しました。大赤字になることをふせぐため、新聞記者は無料にし、他に編集委員に知的障害の本人、福祉職員・育成会職員が加わり、年4回発行していきました。
野沢さんは、「難しいことを難しく書くのはやさしい。難しいことをやさしく書くのは難しい」と言います。知的障害・発達障害は、比喩や婉曲的な言い方がわからない、文脈を読んだり、相手の気持ちを推測するのが苦手で、「ネコの手も借りたい」と言われ、本当に猫を探しに行った人もいました。記事は、知的障害者にもわかるように、長い文章、複合文、難しい漢字、ひらがなだけ、二重否定、比喩、抽象的な語彙、専門的な語彙、省略をやめていきました。

◎心の奥の無意識に働きかける

野沢さんは、取材者の生い立ちから入り、相手の内面(人生)にコミットし、「こういう人生を歩んできたんだな」と思った時に、初めて相手の言葉が落ちてくると言います。取材者と「共同作業」を行い、質問と答えが繰り返されていくことで、「無意識」が「意味付けされた言葉」に変わっていき、それが記者の中にストンと落ちてきた時、取材者の言いたかった「ことば」になっていきます。
目が見えない、耳が聞こえない東京大学教授の福島智さんは、「コミュニケーションは手段に過ぎず、目的にはならない。ことば以外の肩を触る、手を握るということでもいい。重要なのは、手段ではなく目的の部分、つまり相手が、うれしいのか悲しいのかという感覚を大事にすること」だと言います。
言葉の奥の無意識に働きかけるための手段は、音楽だったり、芸術だったりします。取材する側の記者の価値観、一般の国民の価値観で判断するのではなく、「感情的な心の交流で豊かな、やわらかく、ゆるやかに感じるか(福島さん)」そのことが大事なことであり、障害の有無でなく、社会がそう感じられるかどうかが、今、問われているのでしょう。

◎とことん向き合い、社会を動かす力に

講義の最後に、野沢さんは、最初の仕事だった「代理母」の記事を出してきました。1992年に始まった代理母のことを、どんどん記事にしましたが、1996年に、T病院でステロイド剤の「適応外使用」があり、三つ子を妊娠していたA子さんは植物状態になり、胎児である三つ子は死亡しました。
「自分の仕事(記事)でこんなことになった」と思った野沢さんは、植物状態になった奥さんの病室にずっと泊まり込み看護する工藤さんに、ずっと向き合い、毎年暮れにそば屋で一杯やりながら、語り合ってきました。奥さんが亡くなる直前に工藤さんが綴った日記は、「あい・らぶ・ゆー 眠り続ける君へ」と言う本になり、そのことを野沢さんは、「散歩道」2001年1月19日に記事にしています。
このことは、長い年月を経て、とことん取材者に向き合って、取材者の心の奥の叫び、伝えたいことが野沢さんの心の中に落ち、野沢さん自身が納得できる「意味付けされたことば」として、世の中に発信することができた瞬間でもありました。グリーフケアを勉強している私から見ると、今回の記事は、大事な人を亡くした遺族が、傷つきながら成長し、新たに生まれ変わる過程に付き添うケア者のように思えます。

そして、今回の講義を受けて、ジャーナリストは、声なき声を社会へわかりやすく発信していくことで、社会へ問題を投げかけ、社会の意識を動かし、本物の「幸せ」を感じられる社会に変革する、大きな役割を担っているのだと感じました。

講義資料(PDF)大熊由紀子教授HP ゆき・えにしネットから
*倫理と変革の部屋に入ってください

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